修士論文の提出締切が昨日だった。院生たちはTeXを使った執筆作業に毎日遅くまで取り組んでいて、本当によく頑張ったと思う。院生の姿を見ていると、この大学は活力のある学生達でもっているのだとつくづく感じる。
TeXはフリーの組版システムで、これが使えないと論文は書けない。TeXを使わない物理学の分野もあるようだが、素粒子論屋にとっては必須である。当然、修士論文もTeXを使って書き、院生はどこかの段階でこれと格闘することになる。
Wordと違ってTeXは論文が非常に美しく仕上がる。校正の度に論文の形が崩れるのに業を煮やした数学者が組版のために開発した言語だけあって、数式の見栄えは特に素晴らしい。ただ、情報処理に不慣れだとTeXを操るのに苦労するだろう。例えば図を貼り付けるには、Wordだとドラッグ・アンド・ドロップしてマウスで位置調整すればいいところを、TeXではソースファイルにパッケージを読み込んで、figure環境の中でコマンドを打ち込むことになり、コンパイルするまでどんな見た目になるかわからない。修士論文にも図をたくさん貼り付ける必要がある。素粒子論ではFeynman図や世界面、グラフやテーブル等々。これらの図を、illustrator、xfig、tgifなどのソフトを使って用意し、TeXのソースファイルに組み込んでいかねばならない。
TeXでの図の貼り付け方を全く教えなかった院生が過去にいた。情報処理の腕前が優れていたわけでもなく、こちらからは何も言わず、院生も何も聞かず、ただ彼女は黙々とパソコンに向かっているように思えた。締切の数日前、完成しましたと手渡された論文には、弦の世界面や共形変換の図がきれいに貼り付けられていて、何にも言わなくてもできるものなんだなと感心したりもしていた。
論文を読み進んで謝辞にたどり着くと、両親や先生、友人に感謝の言葉が並んでいて、最後には知らない名前があった。院生は修士論文の執筆で生みの苦しみを味わうことになる。それを経験することで鍛えられ、乗り越えることで成長していくのだ。TeXの図について教えなかった学生は、その苦しみを伴侶となるべき人と一緒に乗り越えたんだろう。良かったと思う。今、彼女は幸せな家庭を築いて暮らしている。