量子力学的3Dプリンタ

自分の考え方、話し方をシュミレートするコンピュータ。2045年までには、その人と話しているのかコンピュータと話しているのか区別できなくなるという。人間の精神をコンピュータに完全に転送できる日が来るのだ。しかし、コンピュータとその人とを他人が区別できなくても、そのコンピュータが自分でないことは自分自身にはわかる。マインド・アップローディングすることでその人自身が消去されるとすれば、誰もそんなことはしないだろう。

物理教室5階の小部屋でゼミが終わり、いつものようにコーヒーを飲みながら話していた。小林-益川理論がその部屋で生まれたということを今ほど意識していなかった二十年程前のことだ。誰かが波動関数の複製について話し出した。原子や分子のような極微の世界では位置と運動量が同時に決まらず、粒子は雲のように広がった波として扱われる。量子力学ではその波が波動関数で与えられ、原子や分子の状態を表す。同じ波動関数をもつ粒子が2個あれば、この粒子とあの粒子というように区別することはできず、波動関数が同じなら同じ状態にあるということ以外はわからない。多数の原子や分子からできている身の周りのものも、原理的には粒子それぞれの波動関数によって表現されるはずである。誰だったか、その波動関数を読み取って、別の場所に同じ波動関数をつくる装置があったとしようというのだ。量子力学的な3Dスキャナと3Dプリンタを組み合わせたようななものだ。

人間もまた原子や分子からできているから人間の波動関数を考えることができる。原子分子レベルで見れば精神や心の動きも脳内の物理現象だから、この装置で複製した人間の波動関数には本人と同じ心が宿っているはずだ。いや、波動関数が同じなのだから、本人と区別できないのではないか。演習問題の答えとしてはこれが正解だろうか。

ところが、この装置で複製した波動関数は本人なのかどうか、という問いに対して意見が真二つに割れた。この波動関数が本人だという人は、複製したあとに元の自分を消し去っても構わないとまで言う。本人だと認めない人は、観測問題を持ち出して、そもそもこんな装置なんて作れないのだと、元の自分が消される不安を必死に払拭しようとする。ここにいた全員が量子力学を基本として研究する人ばかりなのが不思議なぐらいに見解が異なった。人間の心とは何なのか。そもそも、ここにいると思い込んでいる私とは何か。モヤモヤしながらコーヒーを飲みつづけた。